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国語の過去問はどう取り組むべき?子供がすべきこと・親がすべきこと
受験対策を練る中で、過去問の対策は重要なことです。
が残念ながら他の科目と違って、国語については一度解いてしまった問題を再び練習することの意味は皆無です。
ということで、志望校の過去問を解くタイミングは慎重であるべきでしょう。
一般的に理想とされるのは、冬休みのタイミングではないでしょうか。
それまでは、他の受験校の過去問など、実際にお子さんが受験する学校に類似したような傾向の受験校の問題を利用したり、塾で与えられる問題などを中心に練習を重ねていって下さい。
親御さんの負担となってしまうのですが、過去問だけに限らず、実際にお子さんが解答した問題については、親御さん自身でも読解をしてください。
決して解答集だけを読んで、その内容を説明するだけ、というだけで満足することはしないで頂きたい。
ポイントは正解することではなく、文章の内容を理解すること
上でも述べましたが、受験期であったとしても、「正解すること」よりも、「文章の内容を正確に把握すること」の方が優先されるべきことです。
解説集では、単純な解答プロセスしか呈示されていません。それだけをお子さんに伝えたところで、何一つ得られるものはありません。
また、そもそもお子さん自身に解説集を読ませるということも厳禁です。
国語の読解というものは、大人でも同じことが言えますが、自分だけでは決して気付かない間違いというものがどうしても存在しやすくなります。
客観的に指摘されることが他科目に比べても大きく意味を持ちます。
熱心な塾であれば、特に国語に関してですが、自宅での学習法・指導法について、親御さんを対象としたレクチャーの機会を作ってくれるはずです。
そのような機会を積極的に利用して、お子さんにとってよき指導者となれるようにして頂ければと思います。
漢字・四字熟語などの勉強について
書いて覚える、毎日数を決めて練習するといった当たり前の作業は実施して頂くとして、「丁寧に字を書くこと」を蔑ろにしないようにして頂きたく思います。
漢字を正確に覚えることに資するという意味でも必要なことなのですが、それ以上に、「丁寧に字を書くことができるかどうか」は、お子さんの精神年齢の向上を図るための指針の一つとして有効であるからです。
「丁寧に字を書きなさい」という指導はどこでもされることですし、お子さんにとって、丁寧に字を書くことが面倒な作業であることもまた、共通したことでしょう。
「その指示が通りやすいかどうか」「その指示を実践できるだけの根気強さがあるか」というように、少し抽象化した形で、お子さんの性向を図るための材料とすることが可能となります。
尚、「綺麗な」字を書ける必要はありません。楷書で丁寧に、です。
綺麗か否かは習字・書道で獲得の対象とすべき能力で、国語において目標とすべきものではありません。
国語の受験対策で間違えないでほしいこと
中学受験の国語対策で間違えてほしくないことを2つ付言させていただきます。
学校の授業では読解能力は向上しない
残念ながら、学校での国語の授業を利用することはできません。つまり、中学受験の対策を期待してはいけません。
学校教育と受験の乖離が最も大きいのが国語です。
例えば、学校で実施されるテストでは、「設問の答えは、設問の上に位置する文章界隈にあることが多い」という理解不能なテクニックが利用されることがあるように、一切学問として、受験国語としての側面を持ち合わせていません。
かつ、理解に関して幅のある集団を対象として指導がなされることから、そこで解説される内容に関しても、論理的なものは省略されがちです。
教科書に掲載されている文章に触れることができた、という経験を得る以上の効果を学校に求めるのはそもそも筋違いですので、その点は受け入れて頂かなければならない点です。
漢検の優先順位は下げる
学校で率先して漢検の受験を促すような場合であればもちろん利用して頂いても良いのですが、あくまでも受験の観点から言えば、必須という訳ではありません。
どうにも親御さんの中で勘違いが多いものの一つで、漢検の難しい級に合格することをステータスと考える方が多くいらっしゃいます。
目的を忘れないで下さい。
漢字博士になることが目的なのではなく、中学受験に合格することが目的なのです。
小学生の段階で漢検準1級に合格することを否定するつもりはありませんが、果たして中学受験という枠内で考えたときに、果たしてそれは必要条件と言えるでしょうか。
ただ、他方において、難しい漢字にも習熟している生徒が、文章に対する理解度が高いというのもまた一つの傾向として見出すことができる事実でもあります。
要はどのポイントで落としどころとするかという問題ですが、のめり込み過ぎにだけは注意して頂きたいところです。
国語の成績はどこかのタイミングで必ず上がってくる!
国語の成績は、国語と日本語は別である、文章に触れる機会を増やす、とご紹介したような姿勢を貫いている限り、どこかで確実に上昇することが見込まれるということです。
精神的に成長が遅かった私にとっては、地道にたくさんの日本語に触れ続けて日本語に対する経験値を人よりも増やすことでしか周囲のライバルたちについていくことができませんでしたし、燻ぶる期間は人よりも長いものになってしまいました。
ただ、有難いことに最終的には第一志望としていた大学に合格することができましたし、結果としてそれは、小学生時代からの蓄積のお陰であったと確信しています。
国語の学習には長い視点を
出来るだけ早い時期に成果が見られることが理想ではありますが、仮に時間がかかったはずでも、好転の芽になるはずです。
中学受験が全てではありません。
お子さんの国語の能力については、もっと長い視点を持つことも大切なことです。
最後に
「大人と子ども」の乖離が甚だしいのが国語であるということをお分かりいただけたでしょうか?
私たちはどこかのタイミングで、試験としての国語、という存在を受け入れていますが、お子さんはまだそれが出来ていません。
「どうして理解できないの?」という気持ちが特に噴出するのが国語です。それは、この乖離が大きな理由の一つです。短期的な成果を求めないこと、残念ながら、この割り切りをできるかどうかが結果を左右すると言っても過言ではないでしょう。
国語の成績が上がらないご家庭は、暗いトンネルを進んでいるような感覚になると思います。しかも、どこまで続いているのか分からない、長いトンネルです。
ただ、暗闇の続くトンネルであったとしても、そこには必ず「出口」があります。
出口が見えたとき、急に光の中に身を置くことになります。
ひたむきに、諦めず。根気が要求されるのが国語です。
決して不安に負けないように、打ち勝ってくださることをお祈りしております。